大阪万博|アジアで初めて開催された国際博覧会「大阪万博」徹底ガイド

大阪万博ガイド|EXPO`70


日本万国博覧会は、77カ国の参加のもと6400万人を超える入場者により好評のうちにその幕を閉じました。 当時を懐かしむ方、70年大阪万博を知らない世代の方など、それぞれの見方、思いは異なりますが、開催から35年経過しても当時のパビリオン、展示内容は、現代においても見劣りしません。
『大阪万博開催!』 この当時の人々は、未来への夢や希望を沢山抱いて この大阪万博に足を運んだ事でしょう。ちょうど日本の人口1億人突破となったこの時期に 延べ人数とはいえ6421万人の入場者はまさに驚き!そしてどれだけ日本の文化に影響を与えたのであろうか・・・。 嘉門達夫もこういっていました。 『小学生の頃、大阪万博でいかに外国人のサインをたくさんもらえるかが学校での自慢話、珍しい国の人サインであれば、あるほど自慢できた。』 これもまさにこの当時の文化だからこそのお話でしょう。

大阪万博 入場者数  ■大阪万博公園  ■大阪万博 太陽の塔
Japan World Exposition
開催/1970年3月14〜9月13日 広さ/甲子園球場の約83個分! 入場者数/6421万人(一日最高83万人)!


万博記念公園内生活誕生館DELIPAの2階の万博記念館(EXPO'70ホール)、1月19日で閉館。
 
2009年10月28日(水)〜2010年2月28日(日)
岡本太郎の「いきもの」展

同時開催
第12回岡本太郎現代芸術賞受賞作家展示
「太郎賞」受賞 若木くるみ
2月3日(水)〜2月8日(月)
10:00 - 18:00 (火曜日休館)
岡本太郎記念館
東京都港区南青山6-1-19
 
EXPO CAFE
11:00 - 22:30(日曜定休)
大阪市中央区島町2-2-10
 

明日の神話 渋谷駅恒久設置

 
2010年1月15日(金)-4月4日(月)
常設店「99歳、あっぱれ太郎」展
2月26日は岡本太郎の99歳の誕生日

川崎岡本太郎美術館
 
2010年2月6日(土)−4月4日(日)
「第13回岡本太郎現代芸術賞
(TARO賞)」展

川崎岡本太郎美術館
 
TOWER OF TAROストラップ
池之端EXPOにて販売中

池之端EXPOにて、1個1500円(税別)にて
販売中です。
色は、赤、緑、黄、青の4色
 
岡本太郎と太陽の塔
判型:A4判 176ページ並製(カラー128ページ)
本体価格:2800円【定価2940円(税込)】
編著:平野暁臣
(岡本太郎記念館館長・現代芸術研究所代表)
ISBN 978-4-7780-3601-0
発行 小学館クリエイティブ
発売 小学館
 
大阪万博―Instant FUTURE
都築 響一 著

139ページ
出版社: アスペクト
 
松村禎三の世界
「EXPO‘70」〜1.飛天(アプサラス)2.祖霊祈祷 3.詩曲収録
1と3は松下館、2はテーマ館地下展示の音楽です
レーベル: TOWER RECORDS VICTOR HERITAGE COLLECTION
組枚数: 2
規格品番: NCS-589 1500円(税込
 

会期 1970年3月15日(日)〜9月13日(日) 183日間
テーマ 「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)
海外参加 76カ国、4国際機関、1政庁(香港)、アメリカ3州、カナダ3州、アメリカ2都市、ドイツ1都市、2企業
国内参加 32団体、展示館32館
(日本政府、日本万国博覧会地方公共団体出展準備委員会、2公共企業体、28民間企業)
入場者数 6421万8770人
1日の最高入場者:83万6千人 ※9月5日(土)に記録
平均入場者数:35万人
会場面積 330ha
入場料 大人(23歳以上):800円
青年(15〜22歳):600円
小人(4〜14歳):400円
※当時の平均月収は5万円
万博のシンボルマークのデザイン 大高 猛氏

イベントの種類
/国際博覧会(一般博※)※万博後、博覧会国際事務局(BIE)総会で一般博の区分は廃止された。通称、略称 大阪万博、万博、万国博、EXPO'70
正式名称/日本万国博覧会
会  場/日本大阪府吹田市 千里丘陵
主  催/財団法人日本万国博覧会協会
(現・独立行政法人日本万国博覧会記念機構)
プロデューサー/丹下健三
最 寄 駅/万国博中央口駅
駐 車 場/有



「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、総入場者数は6,421万8,770人でと2010年中国・上海で開かれたの上海万博(7278万人)に抜かれるまで、万博史上最多を記録し、国際万博史上初めて黒字となった。戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとなった。日本においては東京オリンピック(1964年)以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。また大阪市など会場周辺市街地では国際万博開催への整備がなされ、道路や地下鉄建設など大規模開発が進められた。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。 人気パビリオンでの数時間の行列など大量の人で大変混雑した。特にアポロ11号[2]が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。またその異常な混雑ぶりから、万博のテーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』と揶揄されたことがある。 愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の国際博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博(つくば博)、花の万博(大阪花博)、愛知万博(愛・地球博))。 なお、1940年3月15日から8月31日にかけて東京都で開催される予定だったが、日中戦争の激化などを受けて開催延期となった「紀元二千六百年記念万国博覧会」の前売り券は、代替としてこの万博で使用できることとなった。その結果約3000枚が使用された。 財団法人日本万国博覧会協会の会長理事が石坂泰三、事務総長理事が鈴木俊一(後の東京都知事)。 万博会場の総合設計を行ったのが建築家の丹下健三であった[4]。会場やパビリオンには随所にメタボリズムの意匠が見て取れる。黒川紀章や菊竹清訓等メタボリスト達は、広大な敷地に会期の間だけ「都市」を出現させ、終わったら全てを無に帰すという博覧会の特徴が上手くメタボリズムと適応したためか、大阪万博以降の博覧会(沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)等)にも関与した。 大阪万博の公式なシンボルマークは、日本の国花である桜をかたどったもので、デザインは大高猛[5]。当初は西島伊三雄デザインの、鉄アレイ状の上に丸を描いた形[1]で、東西世界の融合などを表しているとの説明だったが、シンボルマーク発表の記者会見の直前に万博協会会長の石坂泰三が「これでは日本が世界の上にあぐらをかいている」と激怒し、一蹴した(その日の会見は中止)。改めてデザインが行われ、桜をイメージしたマークとなった。五つの花びらは五大州すなわち世界を、中央の丸は日本のシンボル日の丸を、周囲の白い部分は発展への余裕と伸びようとする意図を表している、と説明された。

日本万国博覧会 概要

* テーマ:人類の進歩と調和
* 総入場者数:6,421万8,770人(2010年の上海万博に抜かれるまで、長らく万博史上最高だった)
* 目標入場者数:3000万人
* 会期:1970年3月14日〜1970年9月13日(183日間)(一般公開は3月15日から)
* 参加国数:77カ国4国際機関
* 迷子になった親と子供の数:22万643人
* モノレールへの乗車人員:約3,350万人
* 入場券売上金額:約350億円
* 食堂・売店の売上金額:約405億円
* 1日の最高入場者日:83万5,832人(9月5日・これも上海万博に抜かれるまで、1日最高入場者の万博記録だった)
* 1日の最低入場者日:16万3,857人(3月16日)
* 会場運営:財団法人日本万国博覧会協会

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition)は、国際博覧会史上アジアで初めて開催された日本で最初の国際博覧会。大阪府吹田市の千里丘陵(約350ha)において1970年3月14日 - 9月13日まで183日間、当代一の規模を誇った。別名:大阪万博、EXPO'70。主催は、財団法人日本万国博覧会協会[1]。博覧会の名誉総裁は皇太子明仁親王(2010年現在今上天皇)、名誉会長は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作。  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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